長い年月を経て継承されてきた日本の伝統行事は時代とともに形が少しずつ変化してきています。しかしその中に込められた人々の願いは今も変わりません。 これからも現代のライフスタイルに合わせた形で取り入れ大切に守り続けていきたいものです。
節分はもともと季節の変わり目のことをいい、立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれの前の日をさします。現在節分といえば立春の前の日のことをいうようになりました。
この日に家々や神社、寺院などで豆まきをするのはもうおなじみです。鬼は邪悪なものの代名詞。鬼を追い払って福を招く、つまり豆まきは「除災招福」のおまじないなのです。
豆は日中は升に入れて神棚に供え、その夜玄関から順に家中の窓や戸のある部屋ごとにまきます。
まず窓や戸を開けて「鬼は外」と言いながら2度まき、すぐに閉めて「福は内」と同じく2度。
豆をまくのは本来その家の主人か年男が行いますが、家族で順番にまいて楽しむのがいいでしょう。
鬼よけのおまじないとしてひいらぎの枝にイワシの頭を刺したものを戸口に置いたり軒下につるすという風習があります。
これは鬼がひいらぎの葉に刺さって痛がりイワシのにおいに閉口して逃げていくという迷信からきたものなのです。
地方によっては玉ねぎやにんにくをつるすところもあるそうです。
節分が近づくと鬼のお面がおまけについたものや升入りの豆が店先に並びます。節分の豆を福豆といってこれは大豆をから煎りしたものです。
乾燥させただけの生の大豆があれば焙烙(素焼きの土鍋)や厚手の鍋でよく煎って福豆にします。
福豆は豆まきが終わったあとで自分の年の数、または年よりひとつ多く食べるのですがこれは厄よけのおまじないです。
お年寄りのように年の数だけ食べるのはちょっと大変という場合は年の数の豆に熱いお茶を注いで福茶に。
そのお茶を飲むと年の数だけ食べたと同じ御利益があるといわれます。
残った豆は一昼夜水に浸してからご飯に炊き込んだり甘辛いみそとからめてみそ豆にしてもおいしいです。
豆菓子にするには鍋に砂糖と少量の水を入れて弱火にかけ、砂糖が溶けたら豆を加えて鍋を揺すりながら砂糖をからめていきます。
一般的には数え年で男性の25歳、42歳、60歳、女性の19歳と33歳を何かしら災難がある年「厄年」といいます。
なかでも男性の42歳と女性の33歳を大厄といい特に災いの多い年とされ、その前後1年を前厄後厄といってこの期問は身を慎むようにします。
男性の25歳はそろそろ社会の役にたつ年で42歳は死に通じ、女性の19歳は重苦の思いをし33歳はさんざん苦労するといった語呂合わせの意味合いもあるのですが、
それぞれ肉体的にも社会とのかかわりにも変化の見られる年ごろ。これからも「しっかりがんばって」と注意を促すための行事なのです。
ちなみに数え年で数えるため実際の年齢より1年早く厄年がくることを間違えないようにしましょう。
この厄を取り除くようにお参りするのが厄落とし。厄払い、厄参りともいいます。厄落としの風習は地方によって違うのですが、一般にはお正月の初詣や節分の夜に厄払いに御利益のある神社に参詣して
手ぬぐいや櫛、お金など身につけているものをわざと落として一緒に厄も落とすというものです。
友人知人を招いて宴会を開きみんなに少しずつ厄を持ち帰って捨ててもらうというところもあります。
女性は魔よけにうろこ模様のもの(着物や草履)を身につけるとよいという言い伝えもあります。
聖バレンタインデーは日本では女性から男性へ愛を打ち明ける日とされていますが、欧米では女性から男性だけに限らず
大切な人すべてに愛を伝える日として古くからお祝いしていました。
思い思いのプレゼントを贈り愛のメッセージを書いたカードを添えるのが決まりだそうです。
聖バレンタインという人物や聖バレンタインデーのいわれについてはいろいろな説があります。
ローマ時代若き修道僧バレンタインが地下牢に閉じ込められていたとき盲目の娘と親しくなり信仰の力でその娘の目を治しました。
バレンタインの処刑が行われたのが2月14日。その前夜に書いた彼の別れの手紙には深い情愛の言葉が書かれており、
それ以後2月14日は愛の日とされたというのが最も有名なお話です。
またほかの説ではローマ司教バレンタインが自由結婚禁止令に反対して殺された日とされ、
このことから身分や民族を超えた愛を守った聖バレンタインを恋人たちの守護神にまつり愛を告白する日としたともいわれています。
早春の自然界では小鳥たちが相手を選ぶ時期それになぞらえて愛の季節を祝っていたようです。
いずれにしろ愛を告げる日で、日ごろ言いそびれている感謝の言葉をお世話になっている家族や友達にちゃんと表しましょう。